研磨

 

 くたびれて黒ずんだスニーカーを脱いではじめて、ようやくシフトから上がれる気がした。「退」ボタンを押して、タイムカードに23:45と刻む瞬間でもなく、「お疲れさまでした」と蚊が鳴くような声で告げるときでもなく、伸びてよれた紐を解いて脚先でスポン、と。コンバースの緑色のスニーカーを飛ばしたとき、ようやく仕事が終わったと思える。

 

 「研磨さん、この時間に上がるの珍しいっスね」

 

 入りギリギリで更衣室に滑り込んできた後輩が、慌ただしく制服に袖を通している。そんなんじゃ絶対、2分ぐらい過ぎてしまって最初の15分をタダ働きで昇華するパターンだ、なんて言うのも億劫だし、言ってやる義理もないし、ただおれは頷いた。片方のスニーカーは踵を手で押さえて、脱ぐ。そして靴下の中で親指を動かしながら、靴箱に放った。靴箱といっても、綺麗に横一列に並んでいるのはレアキャラの就活生やら主婦やらの物ばかりで、大抵の仕事用靴はその前にある床に乱雑に頓挫している。おれの緑色のコンバースはちょっとした弧状を描いて、この汚らしい群れに加わった。

 

「お疲れ様」

 

「しゃーす」

 

 貰い物のモカシンシューズを履き直して、更衣室を後にする。いつもの話だが、言葉にならない労いの文句は、どうしたものだろう。形而上の挨拶をするぐらいなら、黙っていてくれてもいいのに。まぁ、どうでもいいのだけれど。

 

ねこま

 

セブンスコード

 

 

 

 

 

 東京都新宿駅から著名な車線を使って二駅。聞き慣れた信号機から流れるメロディを尻目に、ごった返す交差点を抜けた先にある正面、ビル2Fタワレコがある場所。

 

 背にある重さはもう親しんでしまったもので、たまに通行人(女子高生とか)に羨望の眼差しを向けられたりする事もあるが、ここだと悪目立ちもしない。真っ黒なギターケースが馴染む、黄色い店内はあらゆる場所から宣伝用の爆音が鳴り響いていた。

 

 しかし、その少年は立ち止まらない。何せ、ボリュームが大きいだけで、どのメロディも大衆的な、変哲のないものばかりで全く興味をそそられないからだ。そもそも、今日此処に寄ったのは幼馴染に「部長会議があるから、予約しといた新曲取り行っといて」とマックのアップルパイと引換えに頼まれたからであって、CDを漁りに来たわけでもない。ならば、さっさと用件を済まして久々に――随分久々に――6時までに帰宅するだけだ。少々根本が褪せた金髪のワンレグを面倒臭そうに耳に掛けて、研磨は面を不意にすこしだけ上げた。見覚えのあるアイドルのポスターが視界に飛び込んでくる。反射でひとつだけ歩を停めるが、しかしそれも、やはり研磨の興味を引くには魅力に欠けていた。さっさとカウンターに向かうべく、踵を返そうと背を向ける。その時であった。

 

ダダダ、とベースの音が駆け抜けたのは。

 

 

 

 

 

「それで、研磨さん」

 

 ツーブロック気味に黒髪をワックスで整えた(様に見える)男は、持ち前の低い声を意識して上擦らせた。わざとらしい茶目っ気に研磨は、その猫顔を思い切り顰める。黒尾の、こういう回りくどい皮肉を垣間見ると、本当にこの幼馴染は性格が悪いのだと逐一思う。

 

 むくれる研磨の目の前に置かれた、愛らしい笑顔を浮かべる美少女がジャケットを手に取ると、「まぁまぁ」と宥めに入ったのは夜久だった。

 

「いいじゃんか、研磨が自分からCDに興味出すのなんて滅多にないだろ?」

 

「それと、人の金勝手に使うのとは話が別」

 

「おっしゃる通りデスケド」

 

 ケロリと認めた夜久に、更に研磨がむくれる。あまり表情に乏しい研磨なだけに、珍しい光景であったが、自他共に認める幼馴染主義者の黒尾が此処まで厳格さを全面に出してくるのも、また稀である。そりゃあ、仕方ないか。好きなバンドの解散シングルなお極少量生産の初回限定盤――が何時の間にか、アイドルのニューシングルそれも通常盤にすり替わっていたのである。ようは、「予約CDを取りに行って来い」というお使いを研磨は無視して、勝手にその分の金で、別物を購入していたのであった。5千円位財布にお前も入れとけばこんな事には、と思わないでもなかったが、口にすれば要らぬ火を浴びる可能性が高い。スマートな夜久は噤むことにした。

 

 「せめて受け取ってから、余った金で買えば良いと思うけど」

 

 所持金を勝手に使われる点に関しては、それでいいのか。という突っ込みも噤むことにした。

 

 「だって、そしたら買えなさそうだった」

 

 「つっても俺がどんだけ……どんだけ…」

 

 「楽しみしてたもんなぁ黒尾」

 

  その一言にピクリと研磨が肩を揺らした。罪悪感はあるらしい。

 

 落胆の色を滲ませてはいたものの、これ以上紛糾しても仕方ないと考えたらしい黒尾は最終的に深く溜息をつくに留まった。流石に部長を務めるだけはあって、一応懐も深いのか、と今日ばかりは見直した夜久の隣では研磨が少々縮んでいた。

 

 「ま。まだ受け取れる筈だろ」

 

 「……うん……ごめん」

 

 

 

 

 

 

 

 音駒高校軽音楽部は、古豪だ。軽音楽部にしては余り浮ついた者が少ない、と噂されるのはこの所為だろう。脈々と根付いてきた「音駒の」音楽は、部内バンド何れも乱れぬリズムがなによりも特徴であって、保守的なサウンドを伝統にしていることが分かる。11人のレベルが高くても、先走って音を崩す奏者がいないのだった。

 

 その音駒の中でも随一のリズム感を誇る夜久と、熟練技が光る黒尾は実力者で学内外でも定評がある。

 

 

 

研磨

 

 

 

 くたびれて黒ずんだスニーカーを脱いではじめて、ようやくシフトから上がれる気がした。「退」ボタンを押して、タイムカードに23:45と刻む瞬間でもなく、「お疲れさまでした」と蚊が鳴くような声で告げるときでもなく、伸びてよれた紐を解いて脚先でスポン、と。コンバースの緑色のスニーカーを飛ばしたとき、ようやく仕事が終わったと思える。

 

 「研磨さん、この時間に上がるの珍しいっスね」

 

 入りギリギリで更衣室に滑り込んできた後輩が、慌ただしく制服に袖を通している。そんなんじゃ絶対、2分ぐらい過ぎてしまって最初の15分をタダ働きで昇華するパターンだ、なんて言うのも億劫だし、言ってやる義理もないし、ただおれは頷いた。片方のスニーカーは踵を手で押さえて、脱ぐ。そして靴下の中で親指を動かしながら、靴箱に放った。靴箱といっても、綺麗に横一列に並んでいるのはレアキャラの就活生やら主婦やらの物ばかりで、大抵の仕事用靴はその前にある床に乱雑に頓挫している。おれの緑色のコンバースはちょっとした弧状を描いて、この汚らしい群れに加わった。

 

「お疲れ様」

 

「しゃーす」

 

 貰い物のモカシンシューズを履き直して、更衣室を後にする。いつもの話だが、言葉にならない労いの文句は、どうしたものだろう。形而上の挨拶をするぐらいなら、黙っていてくれてもいいのに。まぁ、どうでもいいのだけれど。

 

黒マリ

くろまりを書く

 

 

 あれは今朝の9時ぐらいだったか。昨晩の時点で、クライアントとの談合が思いの外早く済んでいたのでゆとりを持った出社が許された本日の、AM9:00くらいのことだった。この頃にクリーニング店から受け取ったワイシャツは、パリパリと糊が張って晴天の青空にプリーツの白が良く映える。久々の解放感に、黒尾は仰いだ目を細めた。

 「まっくろな目なのに、空を見ると、青くなるのね」

 ――なんて、当然なことをうたった彼女のことを思い出す。桃色の髪の毛が印象的な、悪戯なのに思慮深いアンバランスな性格をした少女だった。そう、黒尾の思い出の中では毬井の存在など、少女のまま止まっている。

 毬井愛音という人間と、自分は元高が同じ程度のよしみだ。特段関係があった訳でも、交友があったわけでもない。ただ、猫又監督が片手間に園芸部の面倒もみていたので、当時3人ほど在籍していたその部活の一員である毬井とは時折顔を合わせていた。だいたい、毬井がスコップを持ってひょこひょこと体育館に現れては、「肥料代ちょうだい」とねだっているのを横目に見かけるぐらいではあったが。

 毬井は黒尾より学年が1つ下で、研磨と同い年であったが、とにかく研磨と同等かそれ以上に――ネコのような性格をしているようだった。昼休みに中庭に来遊していたと思えば、つまらなさそうに屋上でひなたぼっこをしている。奔放で掴みどころがない、少女だった。ちょうどその時、黒尾には女子大生の彼女がいたし、研磨のことでジェンダー問題については沈思することが多かったので、距離を縮める気は浮かばなかったが、しかし。確かに黒尾にとって、毬井という存在は目蓋のあたりで消えては現れる。

 そして、またいま現れた。

 思考いっぱいに溢れる桃色に、何となく居心地が悪かった。どこかで外れてしまったボタンを落としてきてしまった侭のような、そんな癪な感じがする。

 くだんの発言から数日後に、毬井が新米教師と交際しているとの噂を聞いた。その時小さな縁は解れたのだと、確信していたのに、何故かいま自分は生業と全く関係がない花屋へと歩を伸ばしている。毬井が働いていると同級生に聞いた花屋だ。

 モダンな革靴は切っ先が伸びていて、それとない洒落っ気を主張しているが、昼下がりの長閑な商店街には不釣り合いだった。なんなら黒尾鉄朗という男も、「○○会社勤務」という肩書を得てしまっては似合わない。下町でしがなくバレーボールを勤しんでいた頃では、もうなかった。捲り上げた袖口にじんわりと春風が吹きこんで、呼吸と同調してはシャツが膨らむ。グリーンのエプロンがよく似合う女は、その空間に馴染むように、花を撫でていた。

エクシリア

エクシリア3 (もしくは、Limit Garden)(カッコイイ名前)

2から更に2年後、エクシリアを総括する話。
リーゼマクシアとえれんぴおすとかがなんだかんだあって、文史がなんだとかも色々あった後の話
原初の三霊であるオリジン、マクスウェル、クロノス
1作目がマクスウェル、2作目がクロノスに関わる「敵」であった。3作目である本作は「無」を統べる、「原初の三霊」オリジンが関わる事となる。

主人公

ヒロイン

ヒロイン2
アイネ・パルティータ 16歳
淡い桃色の髪が特徴の美少女。本作では一応公式ヒロイン2である。
澄ました態度と気まぐれな言動で周囲を振り回す小悪魔的な性格で、辛辣な口振りも多い。しかしその実、思慮深く愛嬌がある猫のような性格しており、アルヴィンには「猫ちゃん」と呼ばれている程。
精霊と花が棲む街、ラ・グレゴリオの生まれである巫女。その仕事内容は巫女と言うよりシスターに似ており、神に仕え悩む人々の懺悔を聞いたりするものである。特に祈祷を得意としており、王から直々に召喚の手紙を貰うなど、その界隈では名が知れている様子。
ラ・グレゴリオに寄ったパーティー一行に、「王都での精霊祭が終わるまでボディーガードをして欲しい」という依頼をし行動を共にするようになる。その後も「ヒーラーがいないから 」と絆され、村に戻る事無く一行に着いて行く事に。
武闘会の際ではローエンに感服される程の精霊術の使い手であり、主属性は花と光。前述の通りヒーラーとしても大変優秀である。これについて本人曰く、「大体才能とたまに想像絶する修行」が必要であったと語っている。プレイヤーとしても頼もしい存在であるが、食が細いという設定のためか、グミを投下してもスルーされてしまう事も。(特定のスキットが出現すると解消される。)
前述の通りヒロイン2と発売前から報じられ、主人公をヒロインと取り合う事を予感させる様な前情報が多かったのに対し、実際はほぼ全てのイベントをアルヴィンとペアでこなしている。全編通し特別な感情があることを明言こそしなかったが、決戦前に貰った花束を「一生大事にするね」などとはにかんでいたり、近しい間柄ではある様子。更にはエンディングでも二人の関係を疑わせる様な演出も存在している為、一部熱狂的なファンの間で公式アカウントが言及する程の論議が起きた。


アルヴィン 28歳

フルネームはアルフレド・ヴィント・スヴェント。21年前に旅船ジルニトラと共にリーゼ・マクシアに漂流してしまったエレンピオス人であり名門スヴェント家の元本家嫡子。そして元アルクノア工作員であったという経歴を持つ。
現在は「リーゼ・マクシア産のフルーツをエレンピオスの市場に卸す商売」が軌道に乗り、商売はユルンゲルスに任せ自らは前回の縄張り争いでの苦汁を繰り返すまいと提携の場を広げようと各地に営業に周っている。
「王都での精霊祭」にて主人公らが、ジュードを探している事を知り知人として協力を申し出る。純粋にジュードを探している主人公に対し、ジュード当人ではなく彼に繋がりのある「ミラ」を求めているヒロインの動向をいち早く察知するなど彼の参戦によって物語は大きく展開していくこととなる。
アイネの項目にもある通り、彼女とのペア行動が多い本作。当初は「歌声の巫子」と呼ばれたクルスニク一族の祖、「ミラ・クルスニク」の子孫ではないかと疑っていたようだが、物語が進むにつれ嘘を嘘とも思わぬ自分自身を自省する様をピシャリと言い諭されたことをきっかけに彼女に信頼を寄せるようになる。アイネと出会えた事は不器用に生きてきた罪人としてのしがらみを背負っている彼にとっての転機ではないだろうか、作中のスキットでも彼は彼女を「たぶんこの世界中で最も気のおける相棒」と述べている。
エクリシア1、2から親しまれているキャラクターであり、一作目では見事なまでの“裏切りキャラ”を担ってみせた。前作では商売パートナーであるユンゲルスの人の良さを引き立たせる為か…はわからないが、「コワモテ担当」として髭を蓄え胡散臭い容姿をしていたが今作での容姿は初期作品に近い。彼の身につけているスカーフは一作目のものと同様のブランド特注品であり、コートもアイネ曰く仕立てがいい…が、そのカラーは「アルクノアカラー」でありエクリシアファンならば嫌な予感がしたであろう。言動やその所作の節々が1作目のような飄々とした人と距離を取る、内面を上手く隠したような雰囲気を感じさせている事から彼が再び「裏切り」へ向かっている事は物語が進むにつれ色濃くなっていき、そして終盤に明らかになる真実によるどんでん返し。前作の知識を逆手にとったこのストーリーに一部ファンから「記憶を一度消してもう一度プレイしたい」と言わしめさせた。前作の知識があるものでなくとも前作のあらすじを散りばめられいるので未プレイのユーザーでも楽しめる仕様になっているので安心していただきたい。


ショタ

姉御系

青マリ②

待ち合わせ前にふらりと立ち寄ったカフェはとてもいい雰囲気だった。

香る茶葉の精練さと舌触りの良いスコーンはアイネの舌をとろけさせ、ディッシュのサイドへ添えられたクリームをアクセントに挟めばそれもまた気持ちの良い寄り道を満たしてくれた。

口の中にその時の幸せを思い出しながら、さて待ち合わせ時間は何時だったっけと軽やかに歩道を跳ねる。

角を曲がれば、遠方に目立つ長身が見えた。

バスケット選手としての未来が約束された高身長さを時折うらめしく思っていたが(だって話す時に首を痛めてしまう)、こうした待ち合わせの時にはなかなか利便性があるではないかと鼻息ふんふん、愛音は上機嫌で駆け寄っていった。

 

が、その足は少しずつ止まって行く。

それどころか、サッと小路地に隠れてしまう始末で。それというのも待ち合わせの相手、愛音のボーイフレンドは悪い言い方をすれば人をひとり殺めでもしたのではないかという程殺気立っていたのだ。

その人を寄せ付けぬような容姿は悪目立ちしており、愛音はひっそりと溜息をついた。地は決して悪い容姿ではないがあれでは隣を歩くのは躊躇われる。それどころか、足がすくんで動けなくなりそうだ。伝わる恐ろしい雰囲気に、子猫が毛を逆立てるがごとく肩を這った愛音は一度きゅっと目を閉じる。

全く何故そんな顔をしてるのか、と待ち合わせ時間を何時間も遅れてきたはずの愛音はわかっていない。

 

「もう、このままじゃ愛音のお寿司食べられないじゃない…」

それほど真面目に勤めていたようには見えなかったがそのスポーツセンスは客にとっては好評だったのだろう、青峰の給料昇格が先日バッティングセンターの主から告げられたらしく。それを祝うという名目で青峰は愛音を好物で釣り誘ったのである。

バスケの練習を終えてから昼に待ち合わせようとラインで連絡を取り合って、悠々と待ち合わせ時間近くまで青峰宅の日当りのいいリビングで日向ぼっこをした後、街へ出たというのが事の経緯だ。

 

悠悠自適に休日を謳歌していたはずの愛音にとって思わぬ誤算である。

久し振りのお寿司なのに、と小さな眉を垂れさせた。

埒が明かないだろうと恐る恐る、そう、なるべく人影に隠れるようにして近寄ってみれば洞察力の良いボーイフレンドはその鋭い眼光をギラリと愛音の隠れ蓑である通りすがりへ向けてくる。

ヒッと小さな悲鳴を上げ通りすがりは逃げるようにして青峰を避け。そして「あっ」と愛音は小さな肩をぎゅっと縮め固まってしまった。

 

見つめること数秒。愛音にとっては長い時間。冷や汗を額ににじませながら、峰くんこんにちは、と棒読みで言うしかなかった。

「……待ち合わせ、何時っつった」

「そ、その、」

「ラインで連絡してんのに通じねぇのはどういう事だ」

「スコーンとお紅茶が、美味しかったのよ?」

「電話にもでねぇ」

「あ、あっ、わ、忘れてたみたい!峰くんのおうちに、スマホ…」

深い深い溜息を吐いた青峰は短い髪を撫でつけ震えている少女を見下ろす。怯えきり今にも逃げ出してしまいそうであるのに、それでも必死に足を踏ん張り堪えているようだった。

「……ったく。行くぞ」

「あ、待ってっ」

大きな歩幅は普段歩くよりはゆっくりではあるが、それでも愛音の可愛らしい足は必死に前後に振られる。一生懸命に青峰を追い、裾をきゅっと握った。

「……ご、ごめん、なさい」

珍しい謝罪にピクリと眉山が上がり、青峰は愛音を見下ろす。丸い瞳は潤んでいて、また溜息を吐きながらその目許を無骨な指で撫でてやった。

「いいっつの。食う寿司ネタ考えとけよ?」

表情は怒ったようなもののままであったが、先程までのような怒りは消えているのが愛音にはわかった。表情輝かせ何度も頷く姿を見るそれは愛し気だ。

路地に隠れキスでもしてしまおうかと腰を屈ませると、それを見越したわけでもないだろうにサッと愛音は走り出した。

「峰くん早くぅ!」

なんて寿司屋へ向かって一目散だ。

 

これだからと呆れ顔を向けるが、だからこそだとも青峰はひとりごちるように内心笑って。そして困った気まぐれな子猫の後をゆったりと歩くのだった。

青マリ

青峰っち見て見て、というライン通知が画面に見えた。

恐らくひとつ前のメッセージには画像が添付されており、嫌な予感しかしない青峰は汗で重くなったタオルを邪魔そうにスポーツバッグへ投げながらひとまず落ち着いてプラスチックベンチへ座る。

汗に蒸れた太腿にその青いプラスチックの感触は不快で、シャワーを浴びてさっさと帰って家で待っているはずの可愛らしい彼女を一目見て安心したかった。

何度も言うが、黄瀬からのラインに嫌な予感しかしない。

彼女の愛音は、家でいい子に留守番をしているはずだ。

ひとつ深呼吸をしてロックを解除をする。指先まで汗に蒸れていて滑りが悪いことにもイラついた顔をして早急にラインを開く。

 

現れたのはやはり、というべき姿で。思った通りに可愛いらしい愛音の写メが映っている。

だが、想像通りの姿があり驚くことがないはずの青峰の瞳は見開かれていた。

映っていた愛音は、それは普段から可愛らしくシンプルな白のワンピースも可憐さをもって着こなすというのに、映っていた彼女は普段とは違った表情をして立っているのだ。メイクのことなど青峰にはわからなかったが、ぽってりとした小さな唇は吸い込まれそうに美味そうな光沢と色味でもって誘いをかけており。薄く染まった頬や目許が白い肌をさらに艶めかしく魅せていた。着ている服は、愛音が選ばなさそうな大胆に背中や臍を開いた薄手のシルクであしらわれている。

 

黄瀬の前でそのような恰好で、何をしているのだとか、その黄瀬に向けた挑発的な眼差しはなんなのだとか。青峰の頭の中がグルグルと煮えたぎりそうで。

返事をするより先に電話をかけ居場所を脅し聞こうと。だがそれよりも先にライン通知がロッカー室へ響く。

黄瀬の方が上手だとは思いたくはなかったが、イラついた動作そのままにミシリとスマホが軋みそうな圧をかけながらメッセージを開く。

今度は動画であった。

 

先程と違わぬセクシーな衣装を着た愛音がまず現れた。どこか恥ずかし気に目許を染めており、撮影している黄瀬を見上げ何度か頷いて、そしてサッと画面から消えてしまった。

暗い画面が数秒続いている最中、青峰の足は乱暴に貧乏揺すりをして黄瀬をどうしてやろうかという事で頭がいっぱいであった。

だがそれも次に愛音が現れた時にはすっかり消え去ってしまった。

現れた愛音は、一瞬羞恥にはにかんだあと、ふっと息を抜くように猫が人間を見下ろす時のような挑発顔に変えた。スポットライトは何色にも変化し、その中で愛音は堂々と歩みを進めていく。交互に爪先を一直線上へ。歩くたびに腰が大きく左右に振れ、その振動で意外にも豊胸なそれが柔らかそうに揺れており。知らず青峰の喉が上下に揺れ乾いた喉に唾液を流した。

画面の目の前に立った愛音は、静かに唇を動かす。

声は聞こえなかった。小さな舌が、艶やかな唇の向こう側でぬるりと光っているのが見えるだけで。

と、全て見終える前に電話がかかってきた。

「青峰っち、内緒にしてたけど今晩のガルコレに愛音ちゃん招待してるんスよね」

「峰くんもお呼ばれされてるのよ!」

「んで、モデルごっこ中なわけス。さすがに本番には出してあげられないスけど、メイクもプロに頼んだし、こんな愛音ちゃん今しか見れないスよ?早く青峰っちもコッチ来てよ」

「峰くん見た?見た?愛音ウォーキングのセンスいいのよ?早く来ないと黄瀬くんとランウェイ歩いちゃうから」

「青峰っちの衣装も用意して…」

「いいからどこいンのかさっさと言え」

 

額に青筋を立てた青峰は、ロッカー室を後にし煩くエンジン音を立てバイクを飛ばした。