〆土曜まで

うとましダーリン

 

 

 思い返せば、多分、いちばんさいしょにしっくり来たのはあの時だ。

 クロはあの時笑ってたっけ。おれは、たしか、気分が悪くなって踵を返しながらiphoneのスイッチを入れて、汗ばんでなかなかタップできない画面に、苛立っていた。

 

 「…で、……何の用」

 「…スイマセン、突然、」

 

 月島蛍は形式とばかりにわざとらしい咳払いをして、研磨はそれを興味がなさそうに眺めていた。古びた昼下がり、そんな表現が合う近所の喫茶店は、壁にヤニの匂いがしみ込んでいる。男子大学生二人が面会するには少々老獪な其処に、いつか黒尾の父が連れてきてくれたなと、ふと頭をよぎる。

 烏野のクレバーな、―研磨には対する相手の印象はここで止まる。名前も実はよく、覚えていない。翔陽のことはよく覚えているのに、と大きな猫目を素っ気なく動かすと月島は機敏に肩を竦めた。恐らくこちらの思考など見え透いているのだろう。さすがクレバーな、と続けるのは皮肉たらしい気がして心の中で口を噤むことにする。

 大学に進学してから幾許かした梅雨の頃、突然ラインの友達リストに「月島蛍」という名前が連なった。よくよく事態が呑み込めないうちに、その「月島蛍」は「お久しぶりです」からなる簡単な挨拶のあとに、「お時間があるなら」と続けてきた。思い出話でもしたいなどと言う。あからさまな詐欺のやり口――スパムに対して人並み以上に対処法を知っていた研磨が既読スルーを決め込んでいると、今度は幼馴染からのポップアップが届いた。なんでも月島が東京に家族観光に来ると言うので、飲みにでも連れて行ってやると豪語したのはいいものの、ゼミで立て込んでいてとてもじゃあないが行けそうにない。金は出すからもてなして欲しいとのことだった。面倒臭いことに巻き込まれた。瞬時に動き出すよく出来た脳みそが警戒音を鳴らす。既にいろいろな不可思議な点に、研磨は気付いてしまっていた。

 第一に、(おそらく)コミュ障同士を引き合わせるような軽率な真似は、黒尾はしない筈である。

 「たまにはと思いまして~」

 「う、うん。そうだね…」

 完全に他人様向けの笑顔を向ける月島に、此処にはいない黒尾が重なった。

 幼馴染のあの男は、自分とベクトルが違うとは言えど相当賢い男だ。人間の内心を読み、コントロールするのが元来からとても上手い。そんな黒尾がこの重苦しいシチュエーションのお膳立てをしたのだと考えると、唸る他なかったが、同じく賢い筈の月島がそれに気付いていない筈も……ないのではないか。

 

 「……あまり、予測しないでもらえますか」

 

 不意に場に響いた声は、ぽつんと波紋を広げた。寂しげに口角だけつけて笑う月島の表情が珍しくて、後追いするのを観念する。それから、互いに窓辺に滴る雨粒を望んでから10分が経って漸く月島が口を開いた。彼はただ一言、「桜が見たい」と言った。

 

 

 宮城の桜は一足遅いのだろうか。この時期に桜が見たいなんて、馬鹿だ。とは思いつつも、渋々バスに乗車する。ちょうど駅1つ分離れたところに、桜で有名な公園があって小さい頃はよく遠足に行ったものだった。そのノスタルジーな気分に苛まれてついつい足を伸ばす事になっただけであって、自分は全くのインドアつまり引きこもりなのに、と研磨は苦い顔をする。全部クロのせいだ。後でDSでも強請ってやろう。秋にはポケモンの新作も出ることだし。

 そうでないと耐え切れない。

 隣の、頭2つ程高い位置にある綺麗な顔ばせは動かない。マネキンか、フィギュアか、人形みたいだった。元々口数が多いタイプには見えなかったので、想像通りと言えばその通りなのであるが、やや困る。霜がひいて白く濁った車窓に、ジョナサンの看板が映っていた。あそこも確か小学校の時足繁く連れて行かれた。

 「いつからの付き合いなんですか」

 「……ああ、…うん、いつだろう」

 黒尾との関係を暗に示されていることは、すぐに分かった。暫く逡巡する。

 「少なくとも小学校前、かな」

 「随分と経つんですね」

 「5844日」

 「ごせ……?」

 孤爪もこういう表情をする事があるのだと、月島は面喰った。彼は悪戯めいて、だけれど大切にしてきたおもちゃを他人に初めて晒すような、無垢さを持って、ほんの些細に笑った。

 

 「クロとおれがいっしょにいるようになってから、そのくらい、経つみたい」