黒アイ
一限目の授業に行く気になれない。深呼吸をして緑の芝生へ足先を向けた。
改装したての白壁が朝陽を反射させ、眩しそうにアイネは瞳を細めた。朝霧が春の薄緑色の匂いを運んでくるのに鼻を小さくひくつかせ、レンガを敷き詰めた道をゆったりとヒールの音を響かせる。農学部が野外で飼育している羊へ挨拶を交わし奥へ奥へと脚を勧めれば、大学敷地内の一角に佇んでいる噴水が朝の清涼さを際立たせていた。
噴水そばの陽に当たるベンチ。そこがここ最近のアイネのお気に入りの場所であった。
「お、サボりかい?」
かけられた声に機嫌良くベンチへ向かっていた足先が少し揺れたが、止まらずベンチを目指す。
「違うわよ、あの授業は捨てたの。あんな授業つまらないもの」
「後から単位足りなくてヒーヒー泣いてもしらないぜ」
そっちこそ出てないじゃない、と唇を尖らせ振り返れば黒尾はニコリと笑みを返した。爽やかな白シャツから垂れるネクタイを緩めながらアイネへと歩み寄る。アイネへと伸ばされたスラリとした指は、近くで見ればタコだらけ。瞬きもせずにそれを見つめるアイネに自然と緩む頬そのままに、ピンク色の髪についた葉を摘み上げた。
「オレはいーの。あの教授いい噂ないみたいだから最初からその授業とってないし」
「なにそれ、アイネに教えてくれてもよかったのに」
「聞かなかったろ?」
意地の悪い顔をして笑う黒尾からふい、と顔を反らしベンチへと白いハンカチをかけ腰を下ろす。可愛らしい顔に似合わず、どっこいせ、なんて声を出しながらで。その声音も甘えたように可愛らしいものだから黒尾はますます面白がって身を寄せた。
後ろから背もたれに腕を乗せアイネのすぐ横に顔を出してくる男を無視して、ゆったりと背中を預ければ、ベンチに張られた木板は良く日光を吸っていて暖かだ。耳を擽る水音も心地良く、傍で黒尾がなにか言っているのにうとうとと瞼が下りていく。
「――だから、とった授業はちゃんと出ろって。出席するだけで単位取れるんだろ?」
「…やぁ…だったらクロが代わりに出て」
ピクリ、と黒尾の眉が跳ねた。見てはいないが、アイネはそう変化を感じていた。
彼には幼馴染がいて。その男の子はとてもマイペースで、そしてバレーの才能があって、どこかアイネに似ているのだと、黒尾が語った事を思い出した。
「ホモ」
「違ぇって」
「ゲイ」
「呼び方変えても違うからな?」
おかしそうに笑う黒尾をどこか、同学年よりも大人びて感じる。
「アイネ、眠いの。あっち行って」
「ったく…今日だけは代返頼んでやっから、来週は出るんだぞ」
スマホを弄りながら隣へ腰かけてくれば、アイネはその肩へと額を寄せた。黒尾の肩も暖かく日の光を浴びていたようで、そして鼻をくすぐるフレグランスはアイネ好みの匂いをしていた。