アルエリ
「おっ、猫ちゃんか。こんなとこで何してんの?」
薄暗い足元を西日が長い影を作る階段の踊り場。聞こえた方向へ少女が顔を上げようとすれば先に、大きな手が頭を包んだ。
「帰るけど車乗ってく?」
「行かない」
つんとそっぽを向き歩き出す姿は、さながら尻尾を立てて歩く猫のよう。
揺れるプリーツスカートを抑えるように後ろ手に組みながらアイネはふらりふらりと歩いていく。その捉えどころのないような気まぐれさをアルヴィンは気にいっていた。
「つれないねぇ、暗い夜道に女の子ひとりは危険だぜ?」
「アイネを甘く見ないで。皆だってひとりで帰ってるじゃない」
「最近のガキは危機感ないからねぇ」
「アイネ、ガキじゃないっ」
睨みつける生徒に、なら大人同士帰りましょうか、なんて恭しく手を差し伸べる胡散臭い仕草はアルヴィンによく似合っていた。
その手を取ってしまったのは、彼に会うほんの数分前に聞いた噂にほんの少し引っ掛かりを感じているからだっただろうか。
アルヴィン先生は仕事時もオフの時も変わらない、という声が耳に届き、アイネは首を傾けながら階段下へと視線を向けていた。
真面目に仕事をこなしている姿は稀、まるで常にひとをからかうかのような軽い台詞でもって授業を展開すること。その緩い調子が生徒にも人気であること、外で会ってもそのような調子であること。
どこか掴みどころのないミステリアスさが危険な男たらしめ、ああいう金持ちの男に引っ掛かりたいなどと下世話な笑い声を響かせた。
女というのはよくも口がまわるものだ。
皺の無いベーシックなスーツをハンガーにかければ、張りのある肩が僅か下がるのをアイネは知っている。
決して本音を言おうとしない、いや言う術を知らないのではないかと思えるほど饒舌に真実を隠す言葉が舌を滑り落ちるのだ。
「腹減ったな、どこかで食べていこうか」
「マカロン」
「こんなこともあろうかと、いい店探しておいたから行かない?」
「まかろんっ」
「ちゃんと肉とか野菜も食べた方がいい」
チョークの粉にやられた少し乾き気味の親指がアイネの滑らかな肌を滑る。口の端を力を込めて押されればきゅっと少女の目は閉じられてしまった。
「コーナイエン、出来てんだろ」
もごもごと口の中を動かしながら下を向いてしまうのを見てアルヴィンは口角を上げる。
車は外灯に撫でられ滑るようにして駐車場へと入っていった。