アイネ総受け

「器用なモンだな」

 思わず声をかけたグレイにムジカは作業の手を止める事は無く、得意げに口角を上げて見せた。

 ラジペンやニッパーなどの工具が所狭しと並ぶムジカの机は狭い工具部屋のようだった。金属製のハンダゴテ置きも彼の自作。以前にグレイが聞いた話では初めて出来た彼女に自作の指輪を贈ったのだという。軽いナンパ男だと思ったがその実重いのだなと、ドン引きしたのはいい思い出だ。

 駅近くにあるという彼の下宿先にはガス溶接機材も持っているらしい。

 小耳にはさんだことがあるが、自分と似た不遇さを持つ境遇のムジカの家系は代々そういったモノづくりに携わっているようだった。彼もまた将来はその道に進むのだろう。

 だからって、学校の教室の机の上をこうして作業場にするのはいかがなものか。

「おまえにも作ってやろーか、juviaってアクセ」

 いらねぇよ、と呆れ顔で答えながらムジカは前の席に座る。

 ジュビアというのはグレイを追っている後輩の女子の名前であり、グレイ様グレイ様と追いかけてくる様子を嫌に思っているわけではなく邪見にはしてはいないが、決してグレイから好意を寄せているわけではなかった。中途半端は良くないだろうと、フった事もある。前向きな性格らしいジュビアはそれでも毎日のように引っ付いてきて、そしてそれを見たムジカがお熱いねぇとまるで二人が恋人同士であるかのように揶揄するのが常の構図だ。

 ムジカのそれが、ただの男友達のからかいとは違う事をグレイは知っている。

 グレイにはここ最近、もうひとり懐いている後輩の女子がいる。アイネという、一言で表すなら猫のような少女だ。気にいらぬ者には辛辣であるのに、愛らしい気まぐれ屋な彼女はどういうわけかグレイにはゴロゴロと喉を鳴らすように甘えてくることが多い。

始めはそれには何とも思っていなかった。嫌な言い方をすれば女に懐かれる事には慣れているのだ。

特別なにかアイネに構うわけではなく、甘えてくるのを放っておいて、そして面倒見良く構ってやるというのがグレイのやり方だ。そのあまり彼女に興味が無さそうでいて、そして構ってもらえるというのがアイネにとって良いのかもしれない。兄のように慕ってくるアイネに触れるうち、グレイ自身も妹のように思っていたアイネを女として見始めるようになっていった。

アイネに兄と慕われている、その垣根を超えようと強引に出られないのは、後ろの席の根回し上手な邪魔者のお蔭である。アイネについて牽制されているのだろうとは感じていたが、何かにつけてジュビアとセットであるかのような印象づけを周囲に至らしめているらしいと具体的に気づいたのは最近だ。

「おーおーグレイ様もアクセ作りに興味を持ち始めたか?」

「ただの暇潰しだ」

 グレイとて手先は器用な方だ。大き目のロックアイスから精巧な氷像を造る事が出来るという、将来なんの役にも立たぬ特技を持っている。

「そっちのソレ、アイネにやンのか?」

「御名答。どうよ、アイネちゃんの指に似合うと思うだろ?」

 製作途中のそれは、小さな花をあしらったものらしい。いつの間に指のサイズを測ったのだと聞けば、握ればわかる、などと返ってきた。

 ああそういえば今朝も、ムジカに後ろから手を絡め取られキョトンとした顔をしていた。緩んだ頬をそのままに話しかけるムジカの指はゆっくりと、細く白い指をなぞってやいなかった。指間を擦られむず痒そうにしながら、なんとなく追い詰められているような感覚は得ていても「なに?なに?」という顔をするだけで避ける事がない。普段ツンとしてお高い印象のせいでガードが堅いように見えて、その実恋愛ごとに関してとても鈍く、押しに弱い。無垢そうな様子はますます男を刺激するのだと、わかっていないのだ。

 雄じみた顔をしてムジカが見つめていたことなど。

「本当、変態臭ぇな」

「そりゃ褒め言葉か?グレイ様」

「ハッ、言っとけ」

 ニッパーで切りラジペンで整え、それを溶接していくという作業を繰り返す。グレイには何か違いがあるのかわからないが、何故か何本か並ぶハンダゴテの中から適当にそれを取り溶接していく。

金属の尖端は当たっても怪我の無いように丸く加工を。

「細工作りは性格が出るっつーけど、ムジカくんは執念深く荒っぽくて、グレイくんは中途半端に気を回すってワケか」

 金属の溶ける臭いに千客万来。どこか胡散臭さのある出で立ちの物理教師、アルヴィンは大量のプリントで二つ並ぶ頭をリズムよく叩いた。

「俺以外に見つかる前に早くそれ片付けちまえ、教室でやるもんじゃねーだろ」

「…いってぇな、休み時間に何をしたって自由だろ」

 わざわざ厭味ったらしい言い方での評価に腹の虫の機嫌は良くないだろうに、ムジカは笑みをアルヴィンへと向ける。と、その背から。

「アイネ、臭いのきらーい」

「お、アイネちゃんどうしたのセンセーなんかと一緒に。オレに会いにきた?」

「アイネ、そんな暇はない」

 ふん、とそっぽを向くつれない仕草に周囲の男は何故か笑みをこぼしてしまう。それも薄ピンク色の頬を背けているにも関わらず、その小さな手がアルヴィンの白衣の裾をきゅっと握っているのだ。甘えたな仕草を別の男に向けている、そういうものを見せられて、少なくともムジカやグレイのような男は闘争心や、独占欲が煽られる。ああこの女を自分のものにしたいと、白く柔らかそうな肌に牙を立て食いちぎってしまいたくなるような野生じみた雄の部分が掻き立てられるのだ。

「猫ちゃんは俺の邪魔しにきてんだよ」

「違うの!アイネ、お手伝いしてるのよ?」

「邪魔」

「お手伝い!」

「…どう見ても手伝いしてるようには見えねぇな」

 呆れ顔でグレイが言えば、頬を膨らませてまた拗ねる。だがどう見ても手ぶらでアルヴィンの裾を握っているだけなのだ。

 どういうわけか、いやその容姿と富豪の息子だということ、頭のキレといった高いスペックに惹かれ興味をもっているとアイネ自身から聞いてはいたグレイであったが。ここ最近こうしてベッタリと懐き張り付くようになってしまっていた。

 当のアルヴィンはといえば、そんなアイネを邪魔そうにするばかりである。

 面白くない。と、即行動に移すのは決まってムジカ。

「まァちょうど良かった」

「?」

 強引めに手を取ればアイネは動けなくなる。固まり呆けているうちにアルヴィンは目的の教卓へ採点プリントを置きにさっさと離れてしまった。

 不安げに瞳を揺らしだす彼女に喉笛に吸いついてしまいたい劣情が沸き上がるが、それを喉を上下に揺らして堪える。スルリと指を撫でられた、と思う間にいつの間にかアイネの左手の薬指にシルバーに光る細みの指輪が嵌められていた。

 小さな花があしらわれ、皮膚の白さに馴染む色をした銀が手指をさりげなく華やかにする。

「…どう?」

「……」

 困った顔をしてアイネは視線を泳がせてしまった。目許は赤く染まっていて、言葉を詰まらせている。

「なんで?アイネ、誕生日はまだだし…」

「オレが贈りたいから送ったの。嫌だった?」

「そうじゃないけど…」

 しかし俯いて手遊びをしだしてしまう。

「貰って嬉しけりゃ、ありがとう、でいいんだよ」

「んっ、?」

 今度は横から、アイネのサイドの髪をサラリと撫でる無骨な手。違和感を感じ窓を観ながらそこへ手をかければ、シルバーの髪飾りがかけられていた。雪の結晶のような、しかし華のような、繊細そうなあしらいが施されていて思わず指先でそれをなぞった。

「…グレイくんまで」

 困っているのをわかっていてそういう事をするのか、とアイネが睨むが鼻で笑い何事もなかったかのように自分の席に座ってしまうだけだ。

「でも外さねぇってことは、アイネちゃん嬉しいんだ?」

「ムジカくんウザい!熱い!」

 後ろから両腕で腰を抱けば折れそうなほど細い。じたばたともがく様はまるで子猫で、ニヤける顔を止められぬ肉食セクハラ男はそのままこのクラスメートが見守る教室の端でキスまでしてしまいそうな様子である。

 ムジカの高い鼻先が頬を擦るのに耐えられず、もだもだと腕の中から抜け出しグレイの首に抱きついてひんひんと涙を啜りだす。

 好きな女が抱き付いてきたとて、それを手放しで甘やかすわけではないのがこの男。体を離させ無言で見つめた。

 不思議そうに鼻をすすっていたアイネだったが次第に兄のように慕うグレイの意図することを察し、俯き気味にもごもごと口の中を動かす。

 チラッとムジカを見上げれば、真っ赤な顔をしてムジカの襟を掴み体を伸ばした。

「あ、ありがとうっ」

 ちゅっなんて可愛らしい音を立てて頬に唇が当たる。

 ああたまんねぇと低い声を漏らしてムジカがその魅惑的な朱色の唇を奪おうとするのだが、その前にその唇はサッとグレイの頬へと向かってしまう。そしてまた可愛らしい音が。

 周囲には聞こえないほどの声で礼を言ったアイネは、イイ子だとグレイに褒められ恥ずかしそうにぎゅうぎゅうと首筋に抱き付いて揺れる。ああそれがクラスメートのいる前だと気づかないのだろうか。

 これでムジカともグレイとも付き合っていないというのだから、周囲の男達は喉を鳴らし拳を握る。あわよくば、もしかしたら、自分達にもチャンスはあるのではないか、と。

 牽制しようとするムジカらをよそに、彼女へアプローチをする男はこうして後を絶たない。ただの逆効果なのだと当人たちは気づいていないのだ。

 

 

「全く、若いねぇ」

 アルヴィンはその様子を思い出しながら黒のボックスカーへ寄りかかりながら煙草を蒸かす。小悪魔に魅了され踊らされる少年らは、なんと純粋で滑稽だろうか。

「おじさま、早くぅ」

「オニイサンだって言ってんだろ」

 呆れ声を上げながら運転席から顔を覗かせる少女の額を握りこぶしで小突いた。

 甘えた声は何度も名前を呼んできて、本当に子猫のようだ。

「ハイハイ、わかったから助手席に行けアイネ」

 はぁい、と大人しくシートベルトをかけちょこんと座る、噂の少女。

 勝手に車に乗り込み、勝手に部屋にくる小悪魔な子猫を悪い大人の手が優しく撫で笑った。今晩はこの子猫になにを食べさせてやろうか。

「ちゅー…」

 

 チラリ、とこちらを伺いソワソワとするピンクの頬。煙草臭いキスにうっとりとする姿を見ると犯罪者の気分だ。それがとても、あの踊らされる少年達を思えば小気味良かった。