ムジグレ①

ただでさえ文化祭迫るこの時期はどの場所もバンド仲間が場所取りをしており、そうしてスタジオを確保できない時にはこうしてムジカの部屋中に簡易式の防音を施すのが好例だ。

適当な場所を選んだものなら学内でも“豊作”と噂される世代の、言うなれば抱かれたい男子のTOPに君臨しているムジカとグレイコンビが所属するそれは、学生バンドでありながら熱狂的なファンが押し寄せ練習にもならなくなってしまう。

例えば今も窓の外には、水を思わせる緩くウェーブがかった青い髪を指に巻き付けた少女が、そわそわと部屋の様子を窺い熱視線をグレイへ向けていたりするのだが。

 幾重も両面テープの痕が残るウレタンを自室の壁へ張り付けながら、ムジカは苦虫を噛み潰したような顔を振り返らせた。

「…お前、本気で気づいてねーわけ?」

「あ?何をだよ」

 アンプに足をかけギターを弄っていたグレイにはそれに気付いた素振りは全くない。怪訝そうな表情もムジカが閉口し黙ってしまうとすぐに興味をギターへ移し、眉間の皺はそのままにピックを咥えながらアンプのプラグ端子を弄り出す。摘まみ捻る動きに、Tシャツから覗く腕の筋肉が男らしい筋を浮き上がらせれば声は聞こえずとも窓の外の気配が騒がしくなるのを感じた。

 可愛らしいじゃないか。

「オレなら即行口説き落として寒い外なんかに放置しねーでこの部屋にお招きするけどね」

「……ハッ、ファンに手ぇ出すなんてサイテーなバンドマンだな」

 ああ矢張り鈍くはない男なのだ。との確信にムジカは呆れ顔で煙草を噛むしか出来ない事を悟る。

「ついでに言えば今の時期外は寒くねーし、気に入ってたとしてもオメーの部屋には上げさせねーよ、ヤリチンムジカ君」

「おーおー信用のあるこって」

 そして思っているよりも窓の外の少女の事を気にかけてもいるらしい。防音をしたことで好き勝手言い出したのではないかとムジカは勘ぐったが、そうだとすればますます彼が悪い男という事になる。中途半端に気にかけておいて、知らぬ顔で放置を決め込んでいるとはあまりにも無神経に思える。

 女性へ甘言を囁く事が趣味といっても過言でもないタイプのこの部屋の主には、グレイの心理が全く図れない。

 これで外の少女が不幸そうな顔をしていたのならこの部屋から蹴り出しているところだが、不思議なことに少女はそれでも幸せそうに毎日グレイの傍をついて回る。これが2人のベストの距離感だとでもいうのだろうか。

「タチが悪い男だな」

 ウレタンを貼り終えベースを肩にかけたところで、ガン、と乱暴な音が部屋に響いた。

「うるせーよ、それよりオイ、そろそろ新しいアンプ買わねぇか?」

「バカ野郎、機材は女みてーに扱えっつってんだろうが」

 と言っても意味がないのだったと、ムジカは乱暴に頭を掻く。

「オメーみてぇに甘やかして扱ってもご機嫌ナナメなんだよ」

「そこが可愛いんじゃねーか、そういう娘ほど手のかけようがあるってね」

「本当アイネみてぇなモンが好きだなオメーは」

 今度はグレイが呆れ顔をする番であった。女の好みは人それぞれだろうが、どうもこの器用な男の趣味にはクセがあるようだった。

 “アイネのよう”と称されて機嫌が良くなったらしいムジカはやけにニヤつきながら黒レザーのスウェットからスマホを取り出し始める。こういう時は決まって話が長くなるのだと、グレイはアンプの上に腰かけ頬杖をつき万全の拝聴体制に入ることにした。

「また“アイネ病”か」

「いいから聞けって、つーか見ろよ」

 指紋の痕がいくつか残るスマホ画面には巷で誰もが使っているチャットアプリが開かれており、画面のほとんどが眼前の男の顔アイコンで埋め尽くされている。単発に何度も可愛いだとか、いま暇?だとかの重みのない言葉が並びたてられており。その言葉のほとんどが既読スルーされているようだった。

 顔を上げ憐みの目を向けるが、咳払いをされ画面の一番下をトントンとノックされる。

 溜息をつき視線を落とせば、花に包まれた子猫のアイコンから出ている吹き出しに力無かった垂れ目が軽く開かれることとなる。

『忙しい?最近あえないね』

 目を疑うとはこのことだろう。これが、あの“アイネ”の発する言葉なのだろうか。

 普段の彼女といえば済ました顔で歯に衣着せぬ物言いをする、高嶺の花と呼ばれている。

女生徒から人気が高いとはいえナンパ男ヤリチン男と呼ばれているムジカと高嶺の花とが付き合いだしたと聞いたときは何の冗談かと笑ったものだ。

付き合いだしたというのにナンパ癖が抜けぬムジカが女生徒と並んでいるのをアイネが見かけても、双方を見比べ「趣味悪」などと平気で呟き去っていく始末で。しかも、彼女はムジカと付き合っているらしいのにも関わらず、その表情は馬鹿にしたようなニヤニヤとしたもので。

そんな彼女がこのような、しおらしい言葉をムジカにかけるなどとはグレイには信じられないものだった。

「晴れ舞台で可愛い彼女に恰好良いとこ見せたいからな。バンド練習に打ち込んでたんだが思わぬ誤算だ」

「良かったじゃん、会えなくて寂しいだなんて意外と好かれてんだな」

「これ以上可愛い姿は見せてやらねーけどな」

「ハッ、ゴチソーサン」

そんな事を言ってもどうせいつものように、彼女可愛さに耐え切れなくなった時分には「アイツやべーよ」などと弾丸ライナーのごとく惚気を浴びせてくるくせに、とは言及しなかった。

本当に付き合っているのか疑わしい、まるでムジカの片思いではないかと思っていたのだが。なるほど夢中になるわけだ。

「その彼女にいいカッコー見せんのに新しいアンプいい加減に買えよ」

「オレが直してやんだからいいだろ、金ねーって言ってんだろーが」

「なら新しい衣装買わねーで脱ぎゃいいだろ。どうせライト当たりゃ熱くなんだし」

「生憎オレは裸族じゃねーんだよ、グレイ様と違ってな」

 

 似ているようで正反対の2人が喧嘩をするのは数分後。可愛い彼女と窓の外のファンが差し入れを持って入ってくるのが更に数分後のことである。